スポーツはバベルの塔を超える [サッカー]
昔、ジーコ時代にもトルシエ時代にも「通訳を使ってると単純に時間に対する情報量が半分になる」「日本語を覚えろ」とセルジオ越後さんが言ってた。
あの人そのものは非常に好きだけど、たまにトンデモ理論を投げかけてくる。
一見あってるんだけど、貴方は日本語覚えられた人だからねー。
ジーコさんもトルシエさんも貴方より待遇が良かったしねー。
駄馬ディーさんが嫌いだったの?
感情を自分の口からストレートに言えないのは確かに一見マイナスに見える。
けどね、第三者の通訳を介してでも相手に伝わる事こそ重要だと考える事も出来るんじゃないかな?
言葉って不思議なものでどの国の言葉でも「怒ってる」とかの感情は伝わるんだって。
でもサッカーとかの指導で大事なのはそれ以外の話でしょ。
そういうのはかなり聴くほうにも「頭」が要求される。
その話自体が分かり易くないと、説得力がないと。
そういうのはロジックだから通訳を入れても、いや、むしろ入れた方が理路整然とするという見方も出来るんだ。
どっかの外国人だかが「本を買う時は東京で買う」って言ってた。
つまり、翻訳されるだけの価値があるか?が分かるらしい。
バイリンガルの日本人が「ニューヨークで買う」って言ってたのかな?
まーいい、同じだ。
サッカーの指導ってのもそういう側面があるんだろうなー。
つまり「スポーツはバベルの塔を超えた!」と言えるんじゃないか?
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