猫展示施設レポート [猫博士太郎]
猫天竺紀行では書かないことをちょっと書いておこうと思う。
実は俺と代表は「ガッカリ」して帰ってきたんだ。
猫天竺紀行にも書いたように初日に行った施設は猫の保護施設であった。
ここは、素晴らしい理念の元に運営されている。
保護活動、里親探しなどなど。
でも、エンターテイメント施設ではない。ここの場合はある程度判っていたからまぁOK。
だが2日目に行った「パーク」と称する施設は...酷かった。
まず、音楽が大音量で入り口に(これは客引きとしてまぁイイとしても)、館内にまでも...
猫の声をサンプリングして音程を付けて演奏したスモークオンザウォーターやビリージョエルなどの曲がガンガンかかっている。しかも4,5曲のループがずっとだ。
うるさいんだ。猫にもそうだと思う。
そして、そこに居る猫達の様子がおかしい。
何十匹も居るうちの4匹以外はなんか生体反応が鈍い。
まるでウチの「まんじゅう」の最後の日々のように。
動きが...
そしてそこは陽が入らない。
蛍光灯の下で毎日暮らしてる。
施設が10年経って猫達が年老いたというだけではない「何か」を感じた。
でも、その施設はフェリーや旅館にも割引券を配っていて宣伝には長けていた。(楽しそうな写真だった)
でも...俺は楽しくなかった。
臭いに関しては初日の施設も2日目のとこも似たり寄ったりだったが、これは覚悟していた。それに多分毎日あそこで過ごしてる人たちには臭わないんだと思う。
実は初日に感じた寂しさ(多頭飼育されてる猫達への)を2日目はエンターテイメントパークってことで、そこで振り払うつもりだった。
が、いざ行ってみたら、初日の保護施設の方がよっぽど猫達は幸せに暮らしてたってことに気付かされただけだった。
あの無反応な猫達は酷い。
その差は「日光と愛情」だと思う。
結論として、猫は見世物にはなりえないと感じた。
いや、動物は見世物にはなり得ないと普段から思ってる。
俺は動物園にも少し違和感を覚えてる。
あの「檻」に抵抗を感じる。
と、言うわけで、無理に2日目の施設のことは猫天竺紀行に書かないことにした。(まるで何とかサティ〇ンのように感じたから)
そして今、俺が戦ってるのは次回猫と一緒に暮らすときにどういう感じで「室内飼い」にするか?ってことなんだ。そのために千葉で猫施設巡りをした。
でも、結果は「余計に混乱した」ってだけだった。
日の光の大切さはよく判った。と同時に初日に見たなにか金網越しに外の空気を吸いながらじっと外を眺めている猫達の目が忘れられない。
次回の紀行に載せようと思ってたのは、その途中途中で出合った野良達や外猫のことなんだ。
結局一番癒されたのはその猫達にだった。
そして帰ってきてから行った近所の猫畑の猫たちにも。
チルチルミチルの青い鳥みたいな話になってしまった。
やはり本当の猫天竺は人々の心の中にあるものってことのようだ。
そして、つくづくこの2年半の「まんじゅう」との暮らしは互いに幸せだったと気付かされた。(たとえそれが俺の無知から生み出されたものであったとしても)
う~~~ん、猫博士太郎の研究は日々続く~~~~!!!!
でも、ぜったいにまた猫と暮らすよ~~!!!
ぽ~~~~~~~ん!!!!