ペットロスにならない方法 [猫博士太郎]
猫を亡くして2ヶ月、だんだんヤツがいない生活にも慣れてきた。
はっきり言って「ペットロス」の凄さは並大抵ではない。
ウチの場合、不思議な事に俺の方が代表よりヤバかった。
猫「まんじゅう」は同じ女性のせいか明らかに俺よりも代表に馴れていたのに。
彼女は見送ったその日にブワッ~っと涙を発散して、その後は思っていたよりも冷静に悲しんでいた。
それに比べ俺は、その日以降、徐々に徐々にダメになっていった。
その違いはなんだろう?と頭の片隅で考えていた。
一言で言うと「猫は猫」とちゃんと割り切っていたかどうか?じゃないかと思う。
代表は猫を飼った経験が豊富で、小さい頃からお母さんに(猫に)「エサはやる」であって「エサをあげる」ではない!等々の教育を受けていた。
その点、初めての猫であった俺は「エサを奉納」ぐらいに思っていた。
冗談はさておき、要するに「擬人化度」がポイントかもしれないと感じてる。
飼い猫や飼い犬に対して「ウチの子」ってのも単に言葉遊びで使ってるとしてもかなり用心した方が良いと思う。
一度だけ歯石を取ってもらったトリマーさんに「やさしいパパさんママさん~」って言われて“引いた”ことがある。
気持ちは分るし、いや、理屈では気をつけたけど...
やっぱ、ヤツは「まんじゅう」は俺にとってファミリーだ。
そう、この「ヤツ」って表現こそが擬人化である。
この擬人化がどうヤバいかというと、「寿命だけは擬人化しえない」ってことを受け入れられないからなんだ。
そして、いざ病が発覚した時に言語が通じない本人、いや本猫の気持ちをどうにか理解しようと七転八倒する。
ヤツにとって最善とは?猫の幸せとは?とかを考える。
そのときも「擬人化」する。
そうして苦しみ、別れの後も「正しかったのだろうか?」「もっと~していれば」等々、悲しみの反芻をしてしまう。
今度のためにどうすれば良いかを考えた。
擬人化ゼロってのは多分、いや絶対に無理だと思うから「ペットロスにならない」ってことはないと思う。
だが、そのロス度を低く抑えることは出来ると思う。
そこで、俺は次に猫と暮らすときには「人間の言葉で話しかけない」ってことにチャレンジしたいと思う!
そうなんだ、俺は「まんじゅう」に普通に喋り掛けていた。
「寒いか?じゃ、コタツ入れるから入んな!」とか
「おい!これ高いんだから全部食えって!!」とか
もちろん「だいすき~~~!!」とかね。
これがまずかったかもしれないから、次は、今度は「猫語」で喋りかけようと思う!
「ニャ、ニャ、ナ~~~ン?」
「フッ~!ハッ~~~!」
「グルッ、クルッ」
どうだろうか?
こうすれば、別れの後も「猫らしく」「猫っぽく」その状況を受け入れられるのではないだろうか?
後悔や自己憐憫とは無縁に「らしく」スパッと見送れるんじゃないだろうか?
う~~~~ん、この仮説、早く確認してみたい!!
にゃ~~~~~~~~ん!!!
いやいや
ぽ~~~~~ん!!!
まんじゅう(skbマスコット)>おっと、擬人化の話だからオイラの出番はなし???
いや、CMターイム!!
や
をよろしく~~~~!!!
ま~~~~~~~~ん!!!
- 作者: 有限会社 養老研究所
- 出版社/メーカー: ソニー・マガジンズ
- 発売日: 2008/11/28
- メディア: 単行本
最近は花に水を“あげる”人も増えました。
冗談はさておき、うちの場合犬の方がピッタリ寄り添っていたので
逝かれた時は悲しくて悲しくて。
でも可愛さは別として、心の中にどこか動物は人とは違うという
冷めた部分があった事も事実だし、他に何匹かいたので助かりました
人にせよペットにせよいかに大切に想われていたかが
重要なポイントの気がする、長さじゃなくて。
まんじゅうはしっかりわかっていたと思う。
その仮説、早く確認できるといいですね。
でも人間が発する猫語、ネコは理解できるのかなぁ
心を込めた人間語の方が通じたりして(悩)
by y (2009-05-18 07:38)
大王)犬はまた違う意味で、もっと人に近そうですね~。犬もいいな~。おっと、猫を探求せねば!
そういえば、海外でも自信を持って日本語で通すと何となく通じるとか。
やはり、猫には、あっ!江戸屋猫八師匠に教わろう!!
by kaw (2009-05-18 10:05)