SSブログ

ペットロスその後 [猫博士太郎]

今日で「まんじゅう」が逝って半年になる。

「ペットロスにならない方法」という記事に多くの人達がやって来てるので、そういう皆さんに今日は真面目に俺のペットロス体験を書きたい。

ウチの猫「まんじゅう」は地域猫というかこの近所をテリトリーとしていた避妊済みのメス猫で3年前にウチの庭に現れ、俺が竹輪をやったことから段々仲良くなっていった。

1年経つ頃にはウチの中で寝るようにもなったが、最期の日まで外回りは欠かさなかった。

去年の終わりぐらいから徐々に痩せていき、最期は食べなくなって、慌てて病院に連れて行ったら末期の腎不全と余命宣告され、その通りに1週間後に逝ってしまった。

歯が悪いだけだと思っていたので青天の霹靂だった。

去年の6月に一度歯石を取ろうとしたのだが、なんとなく麻酔に耐えられる身体だと思わなかったんで歯石取りをやってるトリマーさんに来てもらって無麻酔で取れる分だけの歯石を取った。もしあの時に医者に連れて行って腎臓ケアをしながら食事療法をしていたら?と考えない日は無かった。今でもその思いは決して消えはしない。俺の判断ミスで大事な大事なパートナーを無くしてしまった、しかもその後も人間の食べ物を与えてしまってたこと、理屈では後悔はしてもしょうがないと分っていてもやはりしてしまう。

色々考えるたびに涙が出てくる。祖父母を亡くした時よりも悲しみは深かった。たぶん理由は言語コミニュケーションをとっていないからではないかと思う。全てがこちらの想像で色々やって、そのことが果たして本人の望みに適ってたかは知りえないのだ。その処置や判断のあらゆるパターンをその後に考え、後悔の海に溺れてしまうのだ。ヤツは身体に悪いと知っていてもアタリメを喰うことを選んだだろうか?とか、最後の様子から見て本人はこっちが思うほど病院嫌いじゃなくて病院が怖かったのは俺だったんだ!とか。

ま、元気な頃もこっちは色々想像して話したり付き合ったりしてる訳だ。つまり、猫はもうただの猫ではないのだ。半分は自分なのだ。

その自分を亡くすことの辛さ、恐々予想はしていたが、それは予想を遥かに超える喪失感だった。いや、喪失感だ。

俺はああいう野良というか自由な猫が自分の意思でウチにやってくる姿が、姿に感謝、そう嬉しかった。俺は人見知りだからホント段々仲良くなっていったんだ。猫をウチに上げるなんて考えもしなかった。別にヤツも上がろうとはしなかった。俺が外のエサ場だとアリやナメクジが集るんで中で食べてもらおうと半ば無理強いしたようにも思う。家の中では本当にはリラックスできない猫だった気もする。

まだまだこれからもっともっと仲良くなれた筈なのに~という恨みがましい思いも尽きない。

亡くして初めの1週間は吐くほど辛かった。そのことを忘れようと懸命にレコーディング作業に没頭した。が、いつもの場所に、いつもの時間にヤツが居ない。なるべくその場所を見ないようにしても余計に辛い。いっそのことヤツの写真だらけにして、壁にいっぱい写真を並べてみたがそれはそれで辛くてそれらの写真はアルバムに入れた。

なにか、今、苦しんでる仲間に良いアドバイスをと思って書き始めたが...正直苦しい。逃げ道はない。

ただ、50日を過ぎた頃にちょっと楽になった。なにかをやっと諦め始めた自分に気付いた。

そしてその後、辛い日やそれほどでもない日の波を繰り返しながら段々その別れを受容し始めた。

「ペットロスはペットにしか癒せない」とかなんとか知った風なことをいう人にも会った。ま、それのためではないがどうしても猫に会いたくて野良猫の集まる場所に通っていたら子猫に出くわした。

それが「まんじゅう」を亡くしてから100日目くらいだった。つくづく猫トイレを獣医に寄付しそびれて良かったと思った。あっ、その1週間前くらいに近所の公園で捨て猫を拾いそびれたのも大きかった。そして新しい猫、今度は子猫を連れ帰った。そう、「まんじゅう」は出会った時には約10歳、だから今度はどうしても長生きする猫が良かったんだ。

でもペットロスという観点でいうとこのこともかなり辛いことだった。

猫はいるのにそれは「まんじゅう」ではないってことが辛い。

似てないところが辛い。似てるとこに気付くとそれはそれで辛い、まるで「まんじゅう」も単なる猫で代わりがきくもののように思えてしまったらイヤだって感情が襲ってくる。

そう、拒否反応。

そして拾った瞬間からその新しい子猫の「まつり」を看取る最期の日を想像してしまう。

あんな辛い思いを再び、なぜそんなことをしないといけないんだ?って。

だから俺の現在の結論は「新しいペットを迎えることによってペットロスは癒えない」となってる。ウチの場合はそういう野良猫との出会いだったのに今度は積極的に自分で拾ってきたからかもしれない。普通に拾ってきたり貰ったりした猫を見送った後にまた同じように子猫を拾った場合は確かに良いかもしれない。そう、ウチもまた通りがかりの野良だったらここまで拒否反応は起こらなかったかもしれない。

ああ、半年経った未だにこれだけ混乱してグダグダな俺が何かアドヴァイスしようとしたが、またジュルッと泣く羽目になっただけだった。

これでもいくらかマシにはなったんだ、やはり皆の言うとおり「時」が癒してくれるのをただじっと堪えて待つしかないようだ。記憶から生々しさが薄れて無駄な後悔はいくらしても喪ったものが帰ってこないことを受け入れる、そういう作業を「喪に服す」というのだろうか?

ああ、まとまらない。とにかく“もがく”そして徐々に“仕方なく受容”そういう流れが訪れる。

涙は滝のように出る!そしてシワが増える!!

最初は痩せる!その後ヤケ食いをはじめて肥える!!!!

感覚はある種鋭くなり、ある種マヒする。

ウツのような感じにもなるが、ヤケクソパワーも出たりする。

「あぁ、まんじゅうに会いたぇ~!!!」って呪文で涙が出てくる、つまりいつでも泣ける便利な人間に変身する。

さぁ~、言ってみてごらん、「~(貴方の亡くしたペットの名前)に会いたぇ~!!!」って。

おっと、亡くしたての人はダメだよ、もっと落ち着いてからね。

ほ~ら、辛いでしょ、でも俺はこれをやっと言えるようになったってのは一種のリハビリになってる気がする。だんだん「ちくしょー!まんじゅうに会いたぇ~~~~!!!」って普通に言えるようになってきてるような、そんな気がする。始めの頃はそれは禁句というかなんというか自分にとってタブーだったから。

ああ、やっぱダメか、10ヶ月はダメって書いてあったのは本当かもしれない。

そういう6ヶ月目の俺でした。

あっ、未だに辛くてこの動画を最後まで観たこと無いんだけど、skbブログだからビシっと貼っちゃいます、よかったらどうぞ~♪



ぽ~~~~~ん!!!!hiyokoj.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
私は迷わずSKB嘘っ八 TOP




この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。